この池は現在住宅地の中になっていますが、寛保2年(1742)利根川の大洪水によってできたと言われています。
 当時は池の周りがおよそ1kmあり、雑木林に囲まれていたそうです。
 大正から昭和の初めまで、池のほとりに紡績会社がありました。今はその跡地はスーパーマーケットになっています。

 行き方 JR宇都宮線、東武日光線栗橋駅下車東口を左手に曲がり 北へ徒歩100Mほどにマンションがあります。その前を左前方に細い道を入り、300Mほどです。
宝治戸池
(ほうじといけ)
栗橋には利根川をひかえて寛永元年(1624)ころ関所 が設けられました。 箱根の関、白川の関に並んで江戸への人や物資の出入りを監視したのが栗橋の関です。現在の国道4号線、利根川橋のたもと。現在の河原に設置されていたようです。
江戸と日光を結ぶ「日光街道」の宿場としての姿は栗橋のもう一つの面です。
 関所は対岸が中田宿(現在の茨城県古河市)だったので、「房川渡(ぼうせんのわたし)中田関所」と呼ばれ、明治2年まで続きました。
残念ながら現在は石碑のほか当時をしのぶ物はありません
 写真はイリスに展示されている、当時の関所を復元したものです。
牛頭(ごず)天王社(八坂神社)は栗橋のみならず、遠く江戸の船主にまで信仰を集めたと言われています。
 当社の御輿は昔、利根川洪水の折り、鯉や亀に守られるように流れてきたと伝えられています。

現在でも鯉を大切にしており、狛犬の代わりに鯉が社を守っています。
 
八坂神社
 左の写真は境内にある御神木です。
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Part-2